去年の8月から9月にかけてネパールに渡航し、帰国してから約半年が経ちました。

このブログも渡航中に更新しようとは思っていたのですが、現地での通信環境や大学が忙しいこともあり、なかなか手がつけられずにいました。

今は春休みに入ってようやくまとまった時間が取れたので、これから何ヶ月かかけて、現地での生活で学んだことや印象に残ったことなどをまとめる記事をいくつか出していこうと思います。


渡航中、ネパールで直面した3つの壁

私の場合、当初は6週間ネパールに滞在する予定だったので、前の記事にあるように3ヶ月ほど前から渡航の準備を始めていました。

渡航内容としては、

  • 6週間、カトマンズの学校に滞在する
  • 滞在期間中は、子供達に数学や日本語を教える

というものだったため、持ち物の準備だけでなく、英語で喋る練習やどんな授業ができるかといったスキル、さらには食事や生活面などの現地でどう振る舞うかに関する準備も、意識的に進めていました。

その甲斐もあってか、往路の飛行機の中では現地での学校生活が楽しみで仕方ありませんでした。

しかし、実際に活動を始めてからは、自分の内と外の間に大きな壁があり、全く思い通りにいかないことの連続でした。そんな渡航生活の中、特に痛感した3つの壁(言語・文化・衛生面)について、一つづつ記事にしていこうと思います。

言語の壁

今回は3つの壁の中でも最も感じた壁、言語の壁についての思い出について書いていきたいと思います。

事前に行っていた期待値調整のミーティングで、現地の学校はオールイングリッシュだというふうに聞いていたので、渡航を決めてから授業に必要な数学でよく使う単語など、英語の勉強はしていました。

元々私は英会話が得意な方ではなかったので、私の大学に留学に来られている先輩にお願いし、何度か英会話の練習に付き合ってもらったりしていました。

他にも、

  • 電車や大学の空き時間でYoutubeに上がっているリスニング音源を聴く
  • TOEICで使っていた英単語帳や、授業内容を考えているときに必要と感じた英単語をメモして見返す
  • 翻訳をできるだけ使わずに、現地の担当者とメッセージをする

というような、自分にできそうなことを色々考えてやっていました。

その甲斐もあって、ネパール到着の際に空港まで担当者の方(現地の大学生の方)に迎えに来てもらったのですが、タクシーの中でのその方との会話は割とうまくできていると感じ、「意外と心配ないかも?」と感じていました。

しかし、実際に学校に行き、滞在先の学校の校長先生やスケジューラ(時間割を管理している人で、私がどの授業を担当するのか決めてくれた人)の方と会話した時に、自分の英語と現地の方の話す英語との間には、発音、流暢さ、使っている表現などに大きな違いがあることを痛感させられました。

後から聞いたところ、私がタクシーで話していた相手はネパールの国立大学で英語を専攻している方だったそうです。おそらく、私の英語力に合わせて、聞き取りやすいスピードとわかりやすい単語で話してくれていたのだと思います。

私が滞在していた学校は10年制で、日本でいう小学校1年生から高校3年生までの年齢の生徒を育てているのですが、日本の学校では馴染み深いネイティブの方が吹き込んだCD音源やALTの教師による授業などはなく、結果としてネパール語の訛りが入った発音の英語を聞き取るのに、非常に苦戦しました。

しかし英語力は生徒・教師ともに非常に高く、喋るスピードは自分に比べて非常に早かったです。このスピードとアクセントの違いが相まって、特に渡航期間の最初のうちは、ほとんど全ての会話で一度私が聞き返すという、相手にとってとてもやりにくい会話をしてしまっていました。

新たなハードル

私が現地に到着して最初の授業を行ったのは、到着して2日後のことでした。最初の2日は学校の校長先生に祭に連れて行ってもらい、街を歩きながら現地の人と交流をしたり、子どもたちと卓球をしたりして遊んでいました。

2日目にスケジューラの方の部屋に行き、自分がこれから教える授業の科目と内容、日時について話し合っていたところ、想定外の提案をされました。

「日本語の授業の枠をあんまり分けてあげられないから、コンピュータの授業を教えてほしい」

そうスケジューラの先生から言われ、教科書を渡されました。渡航前にはコンピュータの授業の内容に関しては担当者の方から全く聞いていなかったため、準備をしておらず焦りました。幸いにして教科書の内容は自分が高校や大学で勉強している内容で全て知っていたため、子どもたちが学ぶ教科書にしては内容が発展的なことに驚きつつも、コンピュータの授業を教えることになりました。

日本人が英語でコンピュータの授業をする

その日の昼から、全力で授業の準備を始めました。コンピュータの授業を教えることになったのはクラス5(主に小学校5年生)からクラス7(主に中学生)の3クラスと幅広かったため、それぞれ別の教科書が与えられました。

それぞれの教科書の内容に合い、生徒たちが退屈しない、自分ができるだけ教えやすいといった様々な要素を考え、設計していました。授業の細かい内容や学校の仕組みに関しては、また別の記事にまとめたいと思います。

授業を設計し、自分の居室で試しに空に向かって喋ってみて気づいたのは、自分が授業でよく使う表現や、授業の流れを作る、といったスキルを全然持っていない、ということでした。

今まで1:多の授業を行ったこともなければ、40分間一方的に喋り続ける、といった経験もなく、このままではまずいと思い、自分の中で方針を転換しました。

第一に授業

それまでは自分はそこそこの会話練習や英語の勉強をしていたのだから、授業もなんとかなるだろう、と浅く考えていたのですが、想定外のコンピュータの授業、自分のあまりの授業スキルの無さ二よりこんな場合ではない、と気づき、「とにかく授業をやり切る」ことを目標に、40分の授業を再設計しました。

具体的には、教科書を読み込み、自分が何を喋るかという原稿のようなものを作り、それをひたすら喋る練習をしました。

また、40分間喋り続けるのは厳しい上、喋っていてばかりの授業は生徒たちも聞いていて退屈だと考え、自分のパソコンに教える内容に合わせたデモができるような環境や説明のためのスライドなどを作り、一コマ一コマの授業を作り込みました。

1日1、2コマの授業を週6日教えており、コンピュータは週4回は最低でも教えていたので、最初の2週間ほどは授業以外の時間はひたすら授業を設計し、練習するという作業を続けていました。

元々は授業外の時間で他の先生の授業を聞いたり、放課後に出かけたりということを考えていたので、ここまで授業中心の生活になるとは考えていませんでした。

授業の出来に関しては、練習のおかげもあり、生徒たちも割と良い反応を見せてくれました。特にコンピュータの授業に関しては、他の授業に比べて結果的にデモや実践的な内容も多く取り入れられたので、楽しんでくれていたと感じています。

ひたすら授業を作り込んだ結果、英語を喋るのにも慣れた

こうして一コマ一コマの授業を作り込むことに毎日全力を注いだ結果、自分の中にとある変化が起きていることに気づきました。それまでは授業内で自分が何を喋るか、全て考えてそれを覚えていたのですが、2週間が経過した頃にはある程度作り込めばその間のセリフや生徒たちとのインタラクティブな会話(問いかけてみたり、パソコン操作を体験してもらうときの会話)などはアドリブで補完できるようになっていました。

この頃から授業外にも生徒と交流する時間を作ったり、職員室で先生方と会話したりする時間を取れるようになり、コミュニケーションを通してどんどん学校の方と仲良くなることができていったように感じます。

授業でもアドリブで喋ることが増え、英会話への抵抗も比較的なくなっていきました。一旦即興で考えられなくてもとにかく一つ一つ授業をこなしていくことが、自分が英語力を上げるための方法としてあっていたのかもしれません。

最後に

当初の計画とは大きく異なるコンピュータの授業を任され、言語の壁にぶつかり、授業スキルという全く新しい課題に直面しました。しかし、毎日ひたすら授業を設計し、練習し、改善していく過程で、私は確実に変わっていきました。

自分が教える側に立っているという甘い考えが通用しない状況で、「とにかくやり切る」ことを選び、毎日積み重ねた結果生まれた変化でした。

ネパールで出会った子どもたちや先生方との時間は、私に適応力と成長を与えてくれました。

この経験を活かし、どんな環境でも前向きに挑戦し続けられる人材として、これからも努力を重ねていきたいと思います。

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